■概要
群馬大学を卒業後、精神科研修医として勤務。精神疾患があまりに未解明であることに衝撃を受け、なんのビジョンもなく基礎研究へ移り、しばし迷走したが、理研(加藤忠史研)、Johns Hopkins Univ(澤明研)、東大(河西春郎研)で修行する中で、いつの間にか研究に取り憑かれた。2016年から群馬大学・生体調節研究所で研究室を主催し、2019年からは理研・CBSで多階層精神疾患研究チームを主催する。現在は、鬼のような大量の雑用をこなしながら、なんとか研究時間を捻出。やはり研究は楽しく、唯一無二の存在だと感じている。
■はじめに
私の研究のはじまりは、大学院博士課程でした。臨床現場で対応する精神疾患の根治薬がないことに疑問を感じ、何をしたいわけでもないが、臨床を続けるのも“違うかな”という程度の、無能・無気力・無策な医局員でした。教授から学内の基礎教室に出向を命じられ、興味のないテーマをあてがわれ、荒んだ精神状態が2年ほど続きました。しかしやりたくない研究でも(教授、すみません)、“覚悟を決めて”頑張ってみると、ささやかな成果が出てくるもので、博士課程終盤には研究を続けたいと考えました。臨床復帰も考えましたが、実験が上手く行った時のドーパミン大量放出の依存症に陥り、研究者になることに決めました。拍付のために留学しようと安直に考え、米国Johns Hopkins大に留学し、精神疾患におけるシナプス病態の研究に従事しました。以降、一貫して、このテーマに熱中しています。少しの派手な論文を書き、JST「さきがけ」に2回採択され、科研費・新学術「マルチスケール精神病態の構成的理解スケール」領域の領域代表を拝命するなど、景気が良く見えるかもしれませんが、実はイマイチな研究人生です。既に47歳になっており、研究初期の十年をもう少し真剣に取り組めば今頃はもっと良い研究ができたかなと後悔する一方、滅茶苦茶な人生設計でも何とかなるという解釈も成り立ちます。
■相転移のトリガーは?
十分な研究成果もあげていないのに、偉そうなことを書き残すのも気が引けるのですが、筆者の相転移のトリガーを挙げるとすれば、真面目にやろうと「決めて」、真面目に実験をした結果、自分が何かを発見できたことに尽きます。それは些末な発見かもしれませんが、世界で誰も知らないことを自らが発見する興奮は感慨深いものがあります。また支離滅裂なデータが山積し、ここに何の真理も見いだせないという絶望的な状況になっても、あるピースが突然埋まることで、思いもよらない新展開に結実することは研究の醍醐味であり、全力でガッツポーズです。勿論、この間、興奮と失望が交互に入れ替り、その大部分は地獄の日々であることは言うまでもありません。本章の趣旨は、「研究をはじめたばかりの皆さま」への応援原稿ですので、夢と希望に満ちたものであるべきでしょうが、研究は辛いという覚悟が必要です。しかし、稀に到来する研究の興奮に勝るものは、すくなくとも私の人生では研究以外になく、それはそれで寂しい人生なのかもしれませんが、これだけ熱中できるものがあることは幸せだと思います。もし、研究の熱中・興奮を未経験という状態だとしたら、まずは覚悟を決めて、目の前の実験に「真剣に」取り組むことをおすすめします。期限を決めて、研究以外は何も考えないで没頭しましょう。そんなことを数年続ければ、あなたも立派な研究依存症になるでしょう。ようこそ。楽しいですよ。
■研究者としての生き甲斐
研究者は、何が楽しくてこのような自虐的な世界に耽っているのでしょうか?私見ですが、自分がやりたい実験をやった結果、論文として発表できたり、特許取得したり、自分の知力を通じて人類に貢献しうるわけです。それが研究職です。研究はコスパが悪いと言う方もいらっしゃいますが、そうでしょうか?「夢を追い求める系」の他業界と比べてみましょう。アスリートを夢見て、ミュージシャンを目指してと、皆が辛い下積みをします。赤貧洗うが如き日々を耐え、社会から無視され、自分の才能を疑い、その結果、ほとんどの人が夢を諦めます。研究の場合、給与は確保され、何だかんだとキャリアパスも多様化しており、相対的に見て恵まれている業界と思います。敢えて言えば、自分の研究が短期間で評価されないことは辛いかもしれません。しかし、短期間で評価されないという覚悟を持つことで気は楽になります。例えとして、COVID-19ワクチンの開発秘話をしましょう。ファイザー社らのワクチンはmRNAワクチンですが、mRNAは炎症反応を惹起するため、創薬へ展開するのは難しいと考えられていました。しかし、2005年、カリコ博士らはmRNAの「ウリジン」を「シュードウリジン」に置き換えると炎症反応が抑えられることを発見し、この技術を用いて2020年、COVID-19ワクチンが開発されました。カリコ博士は、眩いばかりのエリート研究者なのかと思いきや、大変な苦労人です。母国ハンガリーでの研究資金が打ち切られたことを契機に渡米し、mRNA研究に奮闘したものの、研究成果はなかなか評価されず、研究資金の調達に苦労し、所属していた大学で役職が降格になったり、mRNAの特許を大学が企業に売却してしまったりと、40年にわたる研究生活は苦難の連続だったそうです。大学の研究室を借りる費用も賄えなくなり、2013年にドイツのバイオ企業ビオンテック社に異動しました。しかし、ファイザー/ビオンテック社が開発したワクチンとモデルナ社のワクチンは2つとも彼女の技術を使っており、欧米の研究者などからは、実用化の鍵を握るこの研究成果はノーベル賞に値するという声もあがっています。ハンガリーから米国、そしてドイツへの遍歴は、筆舌に尽くしがたい労苦だったでしょうが、その結果、ワクチン成功の歴史的快挙につながったわけです。
■おわりに
著者の研究領域に話を戻せば、精神疾患研究は、1952年のクロルプロマジンの発見を超えるものは無いといって過言ではありません。脳があまりにも複雑であり、その作動原理さえも全容解明にほど遠いというのが現状でしょう。しかし、予想もできない世界の中で、予想もできない大発見が起こりうる、それが短期的には実らないかもしれないけれど、長い時を経て大きく結実する夢を叶えるのが研究職です。これは非常につらい仕事ですが、しかし辛苦を上回る喜びがあることをお伝えします。ようこそ、楽しいですよ(二度目)